私の吹いているテナーサックスはヤナギサワのT-5という古い楽器。
この楽器を人前で初めて吹いたのはもう10年も前になる。
当時は前オーナー氏から借り受けての演奏だった。良く鳴る楽器と思った。
前オーナー氏は私の一番大切な友だち、というと甚だ恐れ多い話で、何せ親子ほど年が離れているのだが、彼は私のことを「友だち」と呼んでくださる。そんなご好意にすっかり甘えて「友だちづきあい」をさせていただいている。
おつきあいを始めた頃から癌と闘病中と聞かされていた。しかし、今までこれほど明るく前向きな病人にお目にかかったことは無かった。何せ言いようの無いエネルギーを発しているのだ。声ははっきりと大きく、背筋はピンと溌剌となさっている。好奇心旺盛な彼から繰り出される話題の広さ深さ、そして話す勢いに半ば気押されながらも、どんどんこちらの興味も膨らんでいく。自らの病気に対しても見識と興味を持たれ、むしろ病気の方が尻込みするかと思うほどである。そのせいか? は定かでないが、医師も首を傾げるほど病気の進行は食い止められている。
彼の楽器に対する好奇心と情熱も凄まじいもので、60歳から始めたサックスは驚くほどの上達を遂げる。それも病気と闘いながらの修練である。
年齢と習熟は相反する、などという先入観はもはや彼の前では論ずるに値しない。また、豊富な人生経験に裏打ちされた音の雰囲気とフレーズの説得力は、キャリアだけ長いとうそぶいている私には遠く及ばない境地である。アーティキュレーションやピッチの面でも病気の副作用で不自由である耳とは思えない、私も襟を正さなければと痛感させられる。
彼が病気にかかった当時、楽器店の放出品で手に入れたのがこのテナー。ぼろぼろの楽器を自らに重ね合わせ、しかし絶対に吹きたいと念じながら過ごされたそうだ。その後病後の順調と上達が進んで、
「指が小さくてね、それにいちどセルマーが欲しくてね」
と茶目っ気たっぷりな言い訳(?)とともに、もう一台を購入された。聞くや「もったいない」と思わず口走ったテナーを持っていなかった当時の私に、何年か後、その「思い出の品」譲って下さった。こうして私のもとにこの楽器がやってきた。
こんな思いの詰まった楽器であるがゆえ、また、楽器自体も古いものであり、その来歴にも興味がわいていた。
そこでネットで色々調べてみたが、どれもがっかりさせられる情報ばかりだった。
音は良いと思うのだけど... ただ、気をつけてふけば修正可能ではあるが、油断して無意識に吹いたときに感じる音程の違和感が数カ所あった。
一度この楽器をよく知っている方に修理に出してみようと長い間思っていた。
修理を決心したのは今年の夏前のことである。
ヤナギサワで20年間楽器の製造に携り、演奏でもプロ活動をなさっている金剛督さんという方をネットで見つけた。
この方のホームページ上を読んで、癌の闘病記や日頃のお考えに触れ、前オーナー氏ときわめて似た空気を感じた。
このテナーをこの方にぜひ見てもらいたいと強く思った。
持って行くと、楽器を見て喜んで下さった。T-5にもいくつか種類があるようで、金剛さんの師匠の方々が作られた楽器だそうだ。懐かしげに隅々まで眺め、丁寧な仕事のひとつひとつを説明してくださった。プロの目で検分された楽器の仕事ぶりは、リペア過程の写真とともに、以下彼自身のブログに詳しい。
金剛督さんのブログ「ヤナギサワT−5」
お話を聞いて、楽器の製造された年代などの興味はどうでもよくなって、どんな人がどんな思いで楽器を作っていたかのほんの一部を垣間みる事ができて十分と思った。楽器を作るのも修理をするのも高い精神、志や技術を要するそれこそ精魂込めた仕事で、生まれてきた楽器も触れてきた人々の思いの結晶なんだと。
吹くと違和感があった音程は見事に修整されていた。
こうして譲り受け、精魂込めた修理が施されたテナーサックスは、私の生涯の宝物である。
あとはこの楽器をどう鳴らしてあげられるか、これは私の果てしなく遠い課題である。
道半ばのmp3です。
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